古河駅西口エリアの古地図

古河市にはかつて城があり、城下町として発展してきた経緯があります。
古河駅西口エリアは今も城下町の風情が色濃く残っています。

古河城
12世紀末頃、下河辺行平が古河の立崎に築いた城館とされている城。室町時代には、古河公方・足利氏が本拠とし、以後、戦国時代の関東における中心の一つとなります。江戸時代には、譜代大名が入れ替わりで城主を務め、近代城郭とし行政機能を担うとともに、将軍の日光社参時の宿としました。江戸城の北方の守りとしても機能しました。明治時代初期に廃城となり渡良瀬川の改修工事の際に、城跡の大半が消滅しています。

古河公方
古河公方は室町時代後期から戦国時代にかけて、古河を本拠とした関東足利氏。康正元年(1455)、第五代鎌倉公方足利成氏が鎌倉から古河に本拠を移し、初代古河公方となります。その後も政氏・高基・晴氏・義氏へと約130年間引き継がれました。御所は主に古河城。古河公方を鎌倉公方の嫡流とみなし、両方をあわせて関東公方と呼ぶこともあります。古河総合公園に古河公方館跡(県指定史跡)があります。

出展:古河市観光協会 観光ガイドブック

古河城は跡形もなくなってしまいましたが、大手町、西町、横山町あたりには当時の武家屋敷の名残が今もあります。
古河第一小学校周辺は特に風情がありますね。
不動産の購入売却の際には、こうした歴史についても参考にしたいものです。

最後の地図の出展:ウィキベディア 古河城(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E6%B2%B3%E5%9F%8E)